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続・朝青龍

前記事へ頂いたコメントから、さらに色々考えてみる。

私は、横綱・朝青龍が大好きだった。じつは。

試合前の睨みや打ち負かした相手力士へのダメ押し攻撃に勝利後のガッツ・ポーズ。朝青龍はNHKのインタビューで「土俵に上がれば鬼になる気持ちもある」と言っていたけれど、その通り、その『勝利』へ鬼のごとくの執念が大好きだったし、それを隠さぬ彼の(と言うよりおそらく民族的な)性質を愛していた。

そうして、少なからぬ日本人が彼に対してそんな思いを抱えて、普段はさほど興味を持たぬ相撲中継にチェンネルを合わせていたのだろう。そう確かに、朝青龍は、日本人に愛されていた。

それなのにどうして、彼には「(日本の)相撲界の上に立つものの矜持」という社会通念が芽生えることが無かったのか。

思うに、相撲界のお偉い方だけでなく、私たち日本人は全体的に「上に立つもの」を育てる力量が決定的に欠けている。

前記事で私は、「ダメなものはダメ!」その「ダメ」の指すところ、それは案外世界の多くで共有できるものだと書いた。そして、日本社会のダメで世界的に共有されないところは、「ダメじゃないかもしれないけど、ダメかもしれないからダメにしとく」という点であり、それがなぜ「ダメ」かと言えば、「ダメかも」の部分に注意を向けすぎてグレーな「ダメ」が正式なブラック「ダメ」にカウントされる様になり、いつの間にか「ダメ」ばっかりな、まっこと息苦しい社会になるからである、とも書いた。

つまり、「ダメじゃないかもしれないけど、ダメかもしれないからダメにしとく」社会では、「ダメじゃないけど良くは無い」存在が潰されてしまうのである。言い換えれば、「(現時点の価値観で)良くは無い」だけで、近未来の価値観では「もんのすごく良い」存在が育つ可能性まできれいに排除してしまいがちなのである。

じゃあどうすればいいのさ、と言えば、社会は「ダメなものがダメ」に専心することである。そうすれば自然と「何がダメか」「それホントにダメか」「なんでダメか」と「ダメ」を徹底的に明確にすることになるわけで、「ダメ」に関しては、何様であろうと「ダメ」を適用するFairnessが重んじられることとなる。

朝青龍に関して言えば、彼は「横綱の品格」が分からなかった、と伝えられているが、実のところ日本社会の「ダメ」の「原理」が分からなかったのだろう、と私は思っている。だから、その「ダメの原理」は多くの社会で、母国モンゴルであれ隣大国中国であれ韓国であれ欧米であれ、で、通用する「原理」であることすらも知らぬままなのだろう。

朝青龍明徳(三国志風)よ、マイク・タイソンを思うべし。タイガー・ウッズに至っては、下半身不貞(程度の、と言っちゃあなんだが)問題で「無期限試合出場停止」措置を“自発的”に行っておるぞ。ジャニーズなんて20歳年上の熟女と付き合ったことがバレただけで仕事減らされとるぞ!未成年で喫煙したら業界追放措置だ(マネージングをジャニーズに委託したらよかったネ)。

日本社会は、米仏の元大統領を思うべし。プライベートな問題があろうともその能力に問題があるわけではないのなら、任期を全うさせる度量があるのだぞ。ハイこれ自戒。

・・・もっとあなたの褌姿が見たかったんだよ、ドルジ。そんな少なからぬ日本人ファンの思いをいつかきちんと分かってくれる人に“どこか”で成長して来ておくれ。

【参考資料】

朝青龍 独占インタビュー! 優勝からわずか11日後の「電撃引退の舞台裏」・NHK「追跡!AtoZ」取材班 【第31回】 2010年02月12日

※以下のblogにTBさせていただいています:

朝青龍の引退:元気に愚痴る♪ 

2010.02.10[ゴーログ]横綱審議会委員に品格はあるのか?

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