朝青龍、ダメなものはダメ!
朝青龍が引退・・・相撲が寂しくなっちゃう!これって外国人力士差別!日本人ってやっぱり閉鎖的!
・・・ああそうさ、それがどうした。と、私は言いたい。言う。
それにしたって、朝青龍の報道されている問題行動が事実であるならば、横綱云々を超え、イチ人間としてワンストライク・アウトでしょう。THIS IS IT!
この朝青龍騒動に対する日本人の少なからぬコメントを見るに、日本人は未だに“外に対して”真面目で善良でそして自虐的すぎる、つまりtoo naiveと、思う。
ただ堂々としてたらいいのである。
確かに「横綱の品格」、定義をどこにも明文化してません。
そんなら、「国王のdignity」とか「メジャーリーガーのsportsmanship」とか明文化されているんでしょうか。誰でも同じように同じ言葉で説明できるんでしょうか、もっともlogicalと言われるアングロサクソンの方々なら。
そんなら、東洋の雄、中国人ならば「面子」や「縁」そして「君子」。これを、ぴしっ、と全国民一致した答えを共有しているのか。んなはずない。
結局、何かの「道」の頂点に立つ、と言うことは、「自分」が「道」の「格」である、ということを認識するということで、力士としての「格」について誰よりも視られるのが「横綱」、そういうこと。
じゃあ「格」って何よ、と。(私はkakuですが)
「格」・・・ 地位/身分/等級/物事の仕方/流儀/規則。法則。(Yahoo!辞書より)
そもそも、一般人を酒に酔ってぼこぼこに殴って鼻をへし折って「おぼえてない」ってカネで解決しようとする、格闘を生業とする人間の「格」って?
相撲じゃなくても野球でもサッカーでもアメフトでも「最低」格だと思います。そんなんが一番強いからと言って「頂点」に据え置いている「道」の品位、疑われて当然です、ハイ。少なくとも「オモテ」の「道」じゃあないよね、と。
私は、本人分かっているかどうかしらないけれど、朝青龍は「規格外」に日本人に愛された力士だと思っている。だから、ずっと甘い処置になってきたのだろうと思うし、甘い処置が繰り返されてきたことには「外国人力士」であるという要素が大きかったと思う。
だから、お互い様、それでいいのだ。
あんまり国際関係がーとか気にしなくて良いと思う。相撲協会もヘンに「国際化!」とか考えずに、だからといって「国技の品格!」とか懐古趣味にならずに、ひとたび踏み出した方角へ向かって、ひとつひとつ踏み固めて歩めばよいのだ。
物事が多様化したとき大切なのは、「ダメなものは、ダメ」と言う法則。不思議とこの「ダメ」って、国や文化を超えて共通するもんですよ。
日本社会の「ダメ」なところは「ダメじゃないかもしれないけど、ダメかもしれないからダメにしとく」というところ。「ダメなものがダメ」。その「ダメ」をclearにする必要は絶対的にある、とは思う。
でもこれは相撲界だけじゃなくて、日本だけのことじゃなくて、global化した世界全体に求められていること、だよね。
だから、STOP!自虐史観!(・・・ん?)
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コメント
久しぶりの躍動感あふれるkaku節、楽しく読ませていただきました。
一人の社会人としての問題行動が、ましてや「横綱」ならば許されるはずがない、と思います。
「ダメなものはダメ」ってなんか昔の土井たか子さんみたいで笑っちゃうんですけど(何に対して「ダメ」と叫んでいたのか忘れました)、とにかく、理屈抜きの基本の「型」だけは大事にしていこうよ、ということだと思います。「道」には欠くべからざるものですね。
「ダメじゃないかもしれないけど、ダメかもしれないからダメにしとく」は、日本人のダメなところかもしれないけど、一方で愛すべき特長でもあり、これでなんとなくうまくやってきたのかな、なんて、年取るとそんな見かたもするようになります。
投稿: robita | 2010/02/09 14:12
robitaさん、
コメントを頂き有難うございました。
>「ダメじゃないかもしれないけど、ダメかもしれないからダメにしとく」は、日本人のダメなところかもしれないけど、一方で愛すべき特長でもあり、これでなんとなくうまくやってきたのかな、なんて、年取るとそんな見かたもするようになります。<
仰ることは良くわかります。長い歴史を持つオトナな国であれば、多かれ少なかれそうやって社会は進んできたことを知っているのだと思います。
その一方で、「ダメかも」の部分に注意を向けすぎるとグレーな「ダメ」が正式なブラック「ダメ」にカウントされる様になり、いつの間にか「ダメ」ばっかりな、まっこと息苦しい社会になる。
既に今の日本社会はその状態であると思います。
「なんとなくうまくやる」ことを是とするのは年を重ねてきた「持てる者」の特徴です。そういう人間が主流派になり大多数になった時、社会の新陳代謝は完全に停止します。
その時、幕末のように「まだ何も持たぬ者」達が起爆し社会を創造的に破壊する存在になりえるかどうか。
しかしあの時は、「外へ出てゆく」手段をほぼ国全体で持てていなかったけれど、今は、いくらでも持てる時代という決定的な違いがあります。
私たちは一度「棄てられる」ことで、新しい何かに「拾われる」ことを経験するのかもしれない。せめて少しでもましな「何か」に拾われてほしいと願う、一愛国者の私であります。
投稿: kaku | 2010/02/10 12:35
お久しぶりです.覚えてらっしゃいます?
この件に関して,わたしもkakuさんに同感.
朝青龍が日本人力士であったとしても,強い横綱が暴力をふるって他人に怪我を負わせ,身代わりまで立てて非難をかわそうとしたように見えるこの件では,国籍なんか関係なく,お咎めがあるべきと思います.
ただ,わたしはkakuさんほど明確な答えは持っていなくて,正直,朝青龍は好きな力士だっただけに,もう見れないかと思うとちょっと残念.
もう少し大人になって,相撲の世界に合わせてもらいたかったなぁと思います.
わたしは,勝利後のガッツポーズなんて厳重注意には当たらないと思っているので,よほどのことがない限り応援してたと思うんだけど,今回は『よほどのこと』だったですからね.
ちょうど朝青龍の引退について書いたところだったので,TBしてみます.
投稿: とと | 2010/02/10 23:17
この問題ではI agree with you. で、以下のサイトにこんなコメントをしています。
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/blog-201002051656/1.htm
>>一般の人に暴力を振るったので、これは相撲界の慣習以前の問題。他の世界に行っても許される行動ではないと思う。
それはさておき、昨日10時のNHKを観ると相撲界の人達も品格とは何かをうまく説明できない状態。横綱審議委員会に外部の人材を入れるといっても、やくみつる氏や内館牧子氏は一般市民感覚を代表する人材。これはこれで重要だと思う。
しかし思想の専門家も審議会に加えた方が良いのでは?例えば日本古典文学者、哲学者、宗教家などを。そうしないと品格の根本概念など明解に説明できる人材はいないだろう。<<
現役力士は難しいことはわからなくても仕方ない。しかし、人の上に立つ親方ならもっと勉強して欲しいですね。様々な世界の人と交流があるので。こうした基礎をしっかり学んで、親方達が「品格の概念」を弟子にわかりやすく伝えることも重要では?相撲が他の格闘技やスポーツとは違う日本の伝統文化だと言うのなら。
ただ、相撲界だけではないです。一般社会でも「和の伝統」を尊べという声は挙がってしますが、日本文化はしっかりと理解されていないのでは?何だか意味不明のナショナリズム(何でも反米とか嫌中とか嫌韓とか)が台頭するだけでは百害あるのみ。
投稿: Shah亜歴 | 2010/02/11 17:38
>「なんとなくうまくやる」ことを是とするのは年を重ねてきた「持てる者」の特徴です。そういう人間が主流派になり大多数になった時、社会の新陳代謝は完全に停止します。<
いやまったく仰る通り。
吉田松陰のハイテンションな行動力は、弟子たちも「引いて」しまうほどだったそうですが、「情熱」や「まっすぐな気持ち」や「冒険心」や「愚かしいまでの正義感」は若い世代ならではのものであり、つまるところ、そういう若者らしさがなくなって、みんな妙にものわかりが良くなって「老人化」してしまったのが今の日本の状態なのだと思います。
kakuさんは正しい。
これは経済の面においても同じことが言えますね。
「競争しなくても」「そんなに豊かでなくても」、そもそもそういう考え方(これは老人の発想)が日本をこんなにだめにしちゃったんですよ、と日本テレビ解説委員の辛坊次郎さんも言ってました。やっぱり経済成長させないと何もかもうまくいかない、と。
「横綱の品格」については、何もそんなに難しく考えることはなかろう、と思います。
歴代横綱がみんな「品格」に満ちていたかというとそんなことはなく、朝青龍のような問題行動を起こさなかった、というだけのことではないでしょうかね。
「上に立つものの矜持」という社会通念は当然モンゴルにもあるでしょう。もしないのだとしたら、失礼ながらモンゴルは相当ヘンな国ということになってしまいます。
投稿: robita | 2010/02/12 10:47
ととさん、
続編TB送信しました。
>もう少し大人になって,相撲の世界に合わせてもらいたかったなぁと思います.
「大人に育てる」大人がいなかったのだろうなと本当に残念に思います。歌舞伎界ならいそうな気がする・・・
投稿: kaku | 2010/02/13 11:50
Shahさん、
お久しぶりです。
>一般社会でも「和の伝統」を尊べという声は挙がってしますが、日本文化はしっかりと理解されていないのでは?何だか意味不明のナショナリズム(何でも反米とか嫌中とか嫌韓とか)が台頭するだけでは百害あるのみ。<
百害に関しては完全に同意します。
しかし、「和の伝統」とは何でしょう?「日本文化」とは何でしょう?
私は「何でも飲み込む」→「それなりの形に作っちゃう」のがソレ、と思っているのですが
やはり、しっかりと理解していないでしょうか。
投稿: kaku | 2010/02/13 11:55
robitaさん、
>吉田松陰のハイテンションな行動力は、弟子たちも「引いて」しまうほどだったそうですが、「情熱」や「まっすぐな気持ち」や「冒険心」や「愚かしいまでの正義感」は若い世代ならではのものであり、つまるところ、そういう若者らしさがなくなって、みんな妙にものわかりが良くなって「老人化」してしまったのが今の日本の状態なのだと思います。<
本当にそうですね。それで本当に「ものを分かっている」のならいいけれど、本当には何も分かっていないのですから、これはもう殆どとんでもない喜劇です。
「将来が不安」な若者たち、と言うけれど、本当は彼らは「不安」が何かすらも知らないはずなんです、まだ。なのに気分で落ち込んでしまって。と言うより、「落ち込まさせられて」しまっている。一種の催眠術にかけられている。
「不安」なのは老人すなわち「すでにそれなりに持てる者たち」だけであって、キミタチは全然「不安じゃない!生きてる限り安心だ!」と、言ってあげたいです。って、周囲には言っていますが
投稿: kaku | 2010/02/13 12:04