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2010、つつがなしを祈る

遅ればせながらの謹賀新年。30代も後半に差し掛かってくると、新しい年だからといって「今年の目標わぁ」とか言って力まない、力めない。ビジネス上は別でしょうが。

40年生きるとそろそろ色んなことが手厳しくなるのである。苦しみも喜びも、試練も幸福も。これはどなた様にも平等だ、と思う。

その時どう自らを統制してゆくのか、律してゆくのか、処してゆくのか。ここで40年の積重ねが効いてくる、すなわちそれが個性だ、と。

だからもう、年初に祈ることは「どなたさまもどうか、つつがなく」。

「つつがない」・・・辞書には「平穏無事である」などと出ているけれど、無難、とか、平安、とかを指すものではない、と思う。人生の手綱を預けきった願いではない、そんな感じが好きだ。

いずれにせよ、しみじみ味わい深い、大人の言葉である。以前、2006年頃だったか珍獣さんが取り上げていらっしゃったなあと思う年明け。

ところで、久しぶりにNHK大河ドラマを見ている。『龍馬伝』、福山雅治さん主演。とりたてて好みの俳優ではなかったけれど、番組宣伝におけるインタビューを拝見して。やはり多くの人が素敵、と言う方はなるほど素敵だと思ってしまう私の付和雷同。

その一方で、最近の日本社会を見て思う。

今の日本人が視るべきは幕末/明治維新期ではない、と思う。ちょっと明治初/中期の栄光にもたれすぎではなかろうか。

奇しくも、今年は平城京遷都1300年、との宣伝が目に付くけれども、私はそこから数世紀前までの日本、つまり、日本と言う「家」を対外的に宣言することで「国」とした聖徳太子までの、すなわち飛鳥・斑鳩時代まで、から、私たちは学ぶべきだ。

すさまじい多様性とダイナミズム。あんな時代がわが国にもちゃんとあったのだから。

その構成員が、「国」と言う概念にまとまるために、一方は多様性をまあるく包括しようとし、他方は単一なることを徹底的に要求した。そして、意識を「東」に向けた時代と「西」に向けた時代、という違い。

歴史を「視る」と言う行為が、まるで阿片を求めるような、「明確な成功体験に酔いしれる」ことであっちゃあならんぞな、と強く思う(伊予弁)。

・・・と、そうは言っても、年末の『坂の上の雲』第一部は良かったのである。現に影響受けてるし。特に秋山兄弟を演じた阿部寛と本木雅弘氏の演技に圧倒。

だけど三年越しの放映ってなんですか、NHK。『白州次郎』の時もそうだったけれど、やっぱりちょっと公共放送って甘いんじゃない?

何はさておき、どうか、迫りくる荒波をつつがなく。それが私の、2010年を迎える日本人としての祈りである。

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