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まなざしの聖杯

「人間は犬に食われるほど自由だ」―

藤原新也の写真と著述が、ずっと、好きだった。

初めて彼の世界に触れたのは高校に入学したばかりの頃。家の本棚の一冊に、この言葉はあった。

脳が痺れた、びっくりして、眼が覚めた(と言うより、自分が寝ぼけていたことに気づいた)、そして、何だか心強くなったのである。

ガンジス川の砂州の淵に流れ着いた水葬死体を犬の群が食べている光景を写した一ページ。彼はこれを撮影したとき、「人間の自我というものから解き放たれた」と思ったという。

「・・・ある国の何処の誰のもとに生まれ、名前を持ち、さまざまな人間関係の中で社会的人間としての自己を演じ、近代というものが強制した人間への、人間文明への過剰な期待を背負ったヒトという存在。つまりそのようなこの世のもろもろの衣服を着込んだ自我から解き放たれ、自分の存在がより原初的なものに向かって行く不思議な感覚に満たされたんだ。それはちょうど瞑想の中で「私」というものから解放され、より大きな「灯り」の中に溶け入って行くあの感じに似ていた」(参考資料1)

80年代の日本社会へ発表されたこの言葉と写真は、確かに衝撃をもって流布されたようだ。しかし、

「ただその言葉や写 真は百パーセントは理解されなかったかも知れない。普通の死すら隠蔽されようとしているこの社会において、あの人間の赤裸々な死の情景は日本人にとって解釈不能だったはずだ。僕が現場で感じたようにそれが残酷なシーンではなく、あたかも花が咲き、そして枯れ散るような自然としての一シーンであると感じるには、あまりにも彼我の世界は隔たりが大きすぎる。・・・」

であるならば、「なぜ」彼の言葉と写真はこの私を心強く、そして心安くさせたのであろうか。

当時の私は、ただ彼の世界に圧倒的に影響されるだけで、その様な疑問を持つに至っていなかった。だから、完全に「オトナ」になってしまった今、当時の心情と環境を遡って推測するに、私が、藤原氏の言う「管理教育が象徴するように、あらゆる分野の管理化が進行し、個人としての人間、さらには90年代のインターネット時代に向けて人間の生死や人間存在そのものを剥奪しつつあった」時代の、「管理され、剥奪されつつある側」であったからかもしれない。

『インド放浪』から『東京漂流』を経て『アメリカ』へとベクトルを進めた藤原氏をなぞるように、私も生きる場所、学ぶ場所、旅する場所そして稼ぐ場所を変えてきた。確かに彼の本はいつでもダンボールの中に梱包され私と共に海を渡り空を飛んだけれども、必ずしも座右の書のごとく、毎日ページをめくっていたわけではなかった。でも、頭で思い出さずともその魂はすでに私の心あるいは精神のどこかに染み込んでいて、己の哲学や価値観を語るときにはいつでも顔を出していた、と思うのだ。

それにしても、私という人間はなんと愚鈍なのかと今更ながら悔しく思う。初めて藤原氏の世界に出会った10代の頃から、一度たりとも自分でカメラを手に取る、つまり、カメラを通じて表現をする、撮影をしようとしたことが無かった。思いつきもしなかったのはなぜなのか。

90年代と言う、重厚で徹底的な閉塞感が満ちた後、収まり所が誰にも分からぬ爆発を目撃した時代に、溢れる自分の思いをどうすることも出来なくて、研究論文に書こうとしたり、日記をつけたり、インターネットの匿名掲示板に空回りする言葉を羅列したりするばかりで日々は過ぎていったが、それは単なる排泄行為に等しいものだった。

しかし、結婚をし、子どもを産み、実父をおくり、色々な思いや事柄が落ち着いて来るに連れて、「カメラ」を握りたい気持ちが高まった。掴み取った「一瞬」という「過去」を、もういちど直視して考えたい・・・それは殆ど「衝動」。

それから半年、今は毎日、握っている。そして今更気づいている、「わたし、写真に影響されて生きてきたんだなあ」と。

さて、インドにおいて人間文明の古層に触れ、アメリカにおいて文明の極北を旅した藤原氏は、何かを見極めたかのように、故郷門司港の少年時代の記憶を辿り始める。そして、つい先日購入した『なにも願わない手を合わせる』(参考資料2)では、四国巡礼。

その中で彼は、最近の日本社会における、「フリーター・ひきこもり・不登校児計300万人、アフガニスタン難民にも匹敵する数量の、戦後経済戦争の果ての“敗戦難民”とも言えるこれらの子ども達」をして、「まなざしの聖杯を受けていない子ども達」と表現する。

「まなざしの聖杯」とは、すなわち聖杯としてのまなざし。つまりかつて本来母親が当然に子ども達へ与えるべきであったはずの「無償の愛のまなざし」のことである。

その「まなざし」を失った母親は、ときにそのまなざしとは対照的な世間の価値を押しつけるまなざし=「管理のまなざし」を子どもに投げつけている、と。多くの母親はその管理のまなざしを愛情であると錯覚している、と。

きつい言葉である。へいへいお決まりの母親批判ですかーっと、反射的に反論したくなる。でも、素直になろう。そう、母は母である。父親は絶対に母親ではないのである。父では与えられぬもの、それを子どもはまず、求めてくる。求めている。徹底的に。これは子どもと対等にそして真摯に向き合ったならば、誰でも気づく真理である。問題は、母だけでなく父も、いや、「大人」が、この真理をどう扱っているかなのである。

先日の福岡の小戸公園事件について、私なりにあれこれと思うことがあったけれども、どうしても文字にする力が沸いてこなかった。何を書いても、それが母であれ夫であれ社会であれ、「犯人糾弾」をするに過ぎないものになることがしんど過ぎて逃げているのだ。

私は、藤原氏の「厳しい優しさ」を愛している。それはどこで生まれ、どこで培われるのか。そのことをいつも考えながら、カメラを握ろうと思っている。

【参考資料】

1. 藤原新也物語 「インド」 藤原新也オフィシャルサイト http://www.fujiwarashinya.com/profile4.html

2. なにも願わない手を合わせる 東京書籍 2003 http://www.fujiwarashinya.com/booklist.html

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