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“負け犬”か“オニババ”か

オニババ化する女たち-女性の身体性を取り戻す-』(三砂ちづる・光文社新書)と言う面白い本に出会った。昨年話題になった『負け犬の遠吠え』論争と対比しつつ読むと、現代女性を通じて少子化問題を立体的に捉えられる様に思う。

この本の構成は、第1章から3章までが生殖・分娩・月経についての過去との対比を含めた女性の現状についての説明で、第4章・5章が著者の言う“オニババ”についての論述になっている。今回は、この後半部分即ち著者の「主張」「提言」に当たる部分に焦点を当てて書いてみる。前半部分の“過去との対比”については、私自身、非常に目から鱗が落ちる様な点も多々あるので、別の機会に書くつもり。

後半部分の概要を著者の表現を引用しつつまとめると:

①昨今の女性(その第一世代は現在の70代)は“オニババ”化している

②“オニババ”とは、いつまでも自分の事にばかり興味があり、強欲で世代をつなごうと言う感覚が欠如している、“満たされぬ女”を言う

③“オニババ”は、自分から勝負に出ることの出来る“負け犬”ではなく、勝負にも出ることも出来ないのに“自由意志”教育に誤魔化されて伴侶を見つけらぬ“弱いメス”達がなるものである

④この世の中で大した仕事も出来ぬ“弱いメス”は、学歴だの何だのと高望みせず、身の丈にあったセックス・パートナーを見つけ早いうちに子供を産み、せめて女として生きるべし

⑤なぜなら、特定のパートナーとセックスをし、子供を産むということは自分が満たされ受け入れられると感じることであるからして、強欲な“オニババ”にはならないからである

とまあ、こんなところだろうか。

この本の著者である三砂ちづる氏は疫学のドクター、つまり理系の方なのに科学的根拠やデータを上げずにかなり感覚的な物言いをするのだが、基本的には正論も多く、常々「少子社会は“問題”ではない」と主張している私にも、「なるほどね、だから子供は産まなといかんと主張するんかい」と思わせる部分も多かった。中でも二つほど、少子社会に関連する事柄として注目:

一つは①に挙げた、“昨今の女性のオニババ化の第一世代が現在の70代にある”と言う点には納得&同感。で、その原因と言うのは「自分が社会的にもセクシャルにも受け止められ認められている、言う意識が持てずに生きている」ことにある、と。

もう一つは③に挙げた、“問題は自分から勝負に出ることの出来る「負け犬」ではなく、勝負にも出ることが出来ないのに“自由”教育に誤魔化されて伴侶を見つけられない「弱いメス」達である、と言う点。

昨年話題になった酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』、あれが出来る人は問題ない、と。私も以前このブログ記事『少子時代の“健全”であることの難しさ』において、酒井氏の言う「負け犬」とは、自分の事を自ら「負け犬」と皮肉っても壊れない自己を確立できる人であると書いたけれども、まさしくその通りで、そもそも自称「負け犬」の人々は、社会的地位もあって経済的にも自立できていて恋人もちゃんといて性的にも満足してる、結構イケてるお姉さん達・・・つまり、どうみたって本当は「勝ち組」なんである。

そういう女性は、“認められ、受け止められ、何かを作り出した”満足感があるので、例え出産して自分の子を持たなくとも、次の世代に対して何かしらを潔く伝授するだろうと思う。問題なのは、この著者が指摘する通り“上の世代から「結婚しなくてもいいよ」と言うメッセージを受けていて、なおかつ自分だけでは相手を見つけて来れない、その上子育てに値するほどのたいした仕事も出来ない女性達”なのかもしれない。確かにそういう状態では、いつまでたっても満たされず、次の世代につなぐ何物をも持てぬ寂しさがあるだろうし不満にも繋がるであろう。

だからせめて「女として生きる」そう言うオプションを残しておくべきなのに、昨今のフェミニズムによる教育で、そういういオプションが否定されてしまい、“弱いメス”が切り捨てられてしまい、結果少子化社会と言う悲劇が起こるのだ・・・と著者は言う。

多分、ばっさりざっくり言ってしまうと「所詮人間、優勝劣敗の動物じゃ。身の丈にあった人生をまっとうせよ」と言うことなんではないかと思う。だとすれば、非常に論理の筋としてはすっきりしていて、ほう…と思わせ、ある程度同感の部分もあるのですが、敢えて反論を二つ:

結婚と出産が“オニババ”を減らすとは限らない…生物である以上、常に自分の能力以上の物を求めるであろうから、“弱いメス”であればあるほど“強いオス”の遺伝子を欲する。従って“身の丈にあったオス”ではむしろ飢餓感が募るのではないか。それがむしろ戦後の「トラック一杯の女に一人の男」世代の女性たちの不満足感だったのではないだろうか。

良い仕事が出来ない女に良い育児が出来るのか…著者は、例え出産時には“至らない女”であったとしても、周囲がサポートすれば大丈夫だしむしろ育児を通じて女は成長するものである、と主張しているが、必ずしもそうはならぬ事を現状が証明しているのではないか。

多子化社会は必ずしも、その社会に対し“安定”を供しない・・・「何でもいいから子供を産め」と言う、ある意味子供の質よりも数に焦点を当ててみても、むしろ“弱肉強食”の力が強く働く社会になるだけではないか。

私は常々、少子社会の先陣を行く中国は、世界で心配されるのと裏腹に、今後は非常に戦争を好まぬ社会/国家となるのではないか、と思っている。その理由は簡単で、子供が少ないからである。言い換えれば、自分達の遺伝子の継承者を戦争なんぞで簡単に失いたくないと言う気持ちが政策に強く反映されるはずであろうから、である。

出生率の高かった昔とは、人身売買に近い様なことも多かったであろうし、自分の居場所はうかうかしてたら取られてしまうと言う考えが、国家的にも影響を及ぼしていたのではないかと思う。それが世界戦争に繋がった面もあるのではないだろうか。結局のところ、人間の命が今よりも軽かったのではないか。

そういう観点から鑑みるに、少子社会と言うのは、もしかすると歴史から学んだ人間の知恵の表れ、なのかもしれない。数が少なければ命を簡単に失うような行動には出ないであろうし、また、数が少ない分は質で補わねばならないので、一人あたりに対する教育も非常に緻密な、目の行き届いたものになるはずである。

しかし私は、「数よりも質」での競争になってくると実は別の落とし穴がある事に気づいている。質で競えば競うほど、教育等に手間暇カネがかかってくるので、現在既に見られつつあるような「結婚・出産(多産)は特権階級のもの」と言う風潮が強く現れてくるかもしれない。

この著者は、ブラジル在住歴が長くご主人もブラジル人であるらしいが、なるほど、である。恐らく、ブラジルでもかなりの上流に位置する暮らしをしているのではないか、と推測する。

私にもブラジル人弁護士の友人がいて、その人から聞いた限りでは、ブラジルはかなり厳格なカソリック国であり、中絶はもちろん避妊も一切認められないと言う考え方が主流である。だからこそ出生率も高いのだけれども、その一方で、かなり強固な階級社会であるから、貧しい家庭に生まれた場合それこそ人身売買的な事も起こっていると聞いている。その場合の一人当たりの命、決して“重い”とは言えないだろう。また、その辺りの“軽さ”が、社会の不安定要素となってはいるのではないか。その辺りの“副作用”をきちんと押さえた上で「子供をどんどん産め」と言う提言であれば諸手を挙げて賛成するのにな、と思う。

従って、少子化対策には、「女性性を大切にする教育」と同時に、身分制的(固定的)格差/階級を生じさせないように義務教育や福祉などで調整し、「格差はあれども流動性もあり(経済的格差/階級)」とする社会を作る政策が必要で、その為には、robitaさんの仰るような、子育てへ地域が介入出来る様な社会が必要だろう、と言うオチにオチ着いた私である。しかし、“オニババ増加”対策については未だ具体策が見えない。せめて自分が“オニババ”と言われぬ女目指して頑張るくらいしか思い当たりません、ハイ。


【追記】
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深夜のNews 美は乱調にあり・ 「虫愛ずる姫君」を想う
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コメント

えーと、お祝いの言葉が遅くなりまして申し訳ありません。
ご出産おめでとうございます。育児に奮闘されているご様子が目に浮かぶようです。

しかしまあ、育児という状況の中で、育児をしつつも、そこから一歩離れてモノゴトを考える時間もきちんと持とうというkakuさんの精神に敬服します。僕は子育ての話し相手にはなれそうもありませんが、社会や経済や思想について十分に相手になりますので。

というわけで、『オニババ化する女たち』を読みました。読了しての感想は、これは正しいことを言っているということです。正論だと思います。さらに、著者の専門だと思われる公衆衛生学の観点から見ても、こうした内容の意見になるのは当然だと思います。特にブラジルでの実際の経験と、かつての日本にもあった、今はもう失われてしまった文化や風俗を重ねているところなど共感できました。

性と女性の身体性へのおおらかな感覚を取り戻そうという指摘は、今の忙しない世の中でまったくその通りだと思います。日本は、社会全体にセクシャリティがブラジルやアメリカと比べると希薄、もしくは歪んだものになっています。昨今、どこぞの国会議員が六本木路上での過ちで「酒は一生飲みません」とか言っていましたけど、酒のせいじゃないだろと思います。酒が悪いのではなく、自分の女性に対する根本的な考え方がおかしいんだということにわかっていないんだなと思う。こうした現状を見ると、著者の言っていることはこれからの社会が考えるべきことだと思う。20歳代で出産して40歳代で子育てを終えてから仕事することができる制度なり仕組みを作る必要があるというのはそうだと思う。もちろん、すべての職業がそうなるわけではないけど。

女性の身体性を考えた場合、出産するように、数十億年の生物史によってそう「できている」以上、出産しないというのは、それなりに生理的に「宜しくない」ことがあるのだろうなと思う。そりゃもう生物として事実である以上、しょうがないということも言える。

だだ、ですね。個人のレベルでの話になると、読んでいて「そうだろうか」という感じがしました。もし、僕が「負け犬」女性だったら、「そんなことわかっているわよ」「だからなんだっての」と思うと思います。著者の言う、結婚をし、出産をしなけえば女性の幸福はないという考え方が、どーも狭いように感じてしまいます。

結婚しないというのが、イコール、バリバリ仕事をする、仕事で自己実現するという壮年期男性のような思考になんでなるのかなと思います。別に、仕事「だけ」をやっていきたいが故に結婚しないわけではないであろう。経済力のある相手に出会えないからというわけでもない。それなのに、なにゆえ、オール・オア・ナッシングになるのか。

この本では、女性の身体性がテーマになっていますが、その女性の身体性そのものを否定するのが、拒食症だったり、リスカだったり、プチ整形であったりしているわけで、逆に自分の身体を傷つけることで、自分の身体感覚を取り戻そうとしている(ある意味で歪んでいるのかもしれませんが)人々もいます。それらの人々に対して、この本は解答になっていません。他者を理解するということについて、男女関係はセックスですと言われてしまうのは、たいへん強い説得力があると思うけど、あまりにもハッピーすぎます。近代の文学と思想は、一体なんだったのかということになるな。結婚や出産が女性の幸福であるとして、もしそれらに幸福を感じることができなかったらどうなるのか。いや、幸福であると「感じなくてはならない」のだろうか。それはへんだろう。

つまり、女性の幸福とはなにかという話に、始めに結婚ありき、出産ありきの話になっていて、ここに、かつての封建体制にあった、始めに家ありき、始めに夫ありき、そして、女性はそれを「幸福と思え」という制度に安易につながる可能性はないだろうか。

まーそれは極端な解釈だと思うし、なんだかんだいっても女の幸せは、良き夫、良き家庭なんですよ、というご意見はソンチョーすべきあると思います。そう思える人は、それで確かに幸福なのだろうし、それを否定するつもりはありません。しかしながら、そうは思えない人も、この世にいる(もちろん、だからといって、良き夫(妻)、良き家庭が欲しくないと言っているわけではありません)こともまた事実で、そうした人は、そうした人なりの幸福のスタイルがあると思います。

女の幸せは、良き夫、良き家庭であるというのは、まーそうですよねぇ。ただまあ、そう決めつけなくてもいいじゃないスか、独りでいたって宇宙を感じることができて、それで愛する人が身近にいれば、もっと深く宇宙を感じることができるかもしれないね、というような大らかところでひとつ、というような感じで結論をつけたいな、と。

と、こういったことを、育児まっさかりのkakuさんと会話しているもの不思議なんですけど。(笑)

投稿: 真魚 | 2005/03/14 03:36

真魚さん、コメント頂き有難うございます。突然古い話題のTBしてスイマセン、私メどうもしつこい性分で、一つの議論を繰り返し掘り起こすタイプでして…

>育児に奮闘されているご様子が目に浮かぶようです。<

私実はこの“オニババ…”を読んでちょっと反省しているんです。分娩や育児の楽しい部分を言わずに大変さばかり伝えるからダメなんだ、と書かれていまして…いや、その通り。確かに育児で奮闘していますが、メチャクチャ楽しいんです、ホント。

だから声を大にして言おう、こんな楽しいことは無い!それゆえ色々書きたいことが溢れてくる、そういう好循環に私はおります!…そのうちそんな事も書きたいと思いますが、とりあえず、お付合い頂いて感謝感謝、です。


ところで真魚さん、もう読了されたんですか、早いなあ…ちょっと早過ぎではありませんかー。

>女の幸せは、良き夫、良き家庭であるというのは、まーそうですよねぇ。ただまあ、そう決めつけなくてもいいじゃないスか、独りでいたって宇宙を感じることができて<

多分この著者は、一人でいたって宇宙を感じることが出来る人間はそれでいい、そうで無い女性に「女として生きる」ことの良さを伝えようとしていて、実は多数派であるそういう「宙ぶらりん」の女性たちの選択肢を奪ってきた世代に責任を問うているんだと思います。

私としては、「仕事はイマイチだから結婚/出産」と言う安易さはいかがなものか…と思うのですが、この著者はそれでもいい、と。繋げるべき何者かを創れただけでかなりマシになる、と。

そう言われると若輩者の私には何とも返す言葉がありません。ここはrobita御大の言葉を期待したいと思います。ただ一つ、やはり出産ってスタートだしそんなに偉い偉いと褒められる事でも無いと思うんです。お腹の中から出てこない赤ちゃんなんていないんですから。むしろ一人の人間の仕事として真価を問われて行くのは育児なのに、ちょっと育児を軽視しすぎではないかと言う感想です。

私としては女性をどうこう責めるよりも(だって、出産自体を心底拒否する人なんて少ないでしょう)、「四の五の言わずにオレの子供を産んでくれ!」と堂々と言えるオトコに教育することに集中した方が早いんではないかと思っていますが、どう思われます?そういう男性、本当に減りましたよね。

投稿: kaku | 2005/03/14 12:37

kakuさん、

>>もう読了されたんですか、<<

新書本で読みやすい文章ではないですか。これはわりあい早く読めます。あと、どのような論評があるかネットで見てみたら、この本をタイトルだけで論じている人が結構いるように見えました。この本、タイトルとか通りいっぺんの内容紹介を読んだだけだと、モロ、フェミニズムの地雷を踏むってゆーか、怒りまくりの論評になるんですね。でも、実際読んでみると、そんなへんな本じゃあないですよ。社会的にまっとうな正しいことを言っていると思います。酒順の本もそうですけど、この本は、自分で読んでみなくてはそれがわからない本ですね。

>>多分この著者は、一人でいたって宇宙を感じることが出来る人間はそれでいい、そうで無い女性に「女として生きる」ことの良さを伝えようとしていて、実は多数派であるそういう「宙ぶらりん」の女性たちの選択肢を奪ってきた世代に責任を問うているんだと思います。<<

この本が語る対象は、そうした「宙ぶらりん」の女性たちであるとして(フェミニストの論評は、まずこうしたカテゴリーを前提すること自体が怒りまくりなわけですが)、この本の言うように「とにかく結婚しなさい」というのが、果たして意味あるメッセージになるのだろうかと思います。今の世の女性たちは、まったく結婚をしないわけじゃあないわけで。する人は大学なり短大なりを卒業して、すぐに結婚をしています。この「宙ぶらりん」の女性たちというのは、著者の分類だと、自分で結婚するパワーはなく、かといって、わが道を行く覚悟もその気もないという「宙ぶらりん」であるとしています。しかし、この「宙ぶらりん」に対して、「とにかく結婚しなさい」「結婚するのが女の幸せなのよ」と言われても、本人の方は、そもそもそうは思えないから「宙ぶらりん」になってきたわけではないのだろうか。この「宙ぶらりん」状態を、結婚という一方の方向なり、選択なりに向けさせるモチベーションとしての「女の幸せ」というのは、うーむ、なんだかなあという気もしないでもないです。近代以後の自由恋愛の制度が、すべての女性(および男性)にとって必ずしも良いことではないというのは確かにそうです。だから著者は、かつてあった古き良き価値観を現代に復興させようと考えているのか、だとしたらあまりにも安易な意見でしかないと思います。それに、kakuさんが言われるように、結婚、出産とあって、育児ってゆーか、子供の教育ということになると、これはそれなりもコアなものがなくてはならないわけで。ただの中身空っぽの「次世代を創りました」で終わりなわけではないのですから、ここがタイヘンというわけですよね。

ただ、この本は、そういうわけでもないと思うんです。著者の言うことは、社会的な観点からすればまったく正しいわけですし。子供の教育を論じているわけでもない。医者が患者を治療するのと同じで、患者を目の前にしたらまず直すにはどうしたらいいかを考えるのが医者であって、患者を「性別」や「年齢」等の生物的属性でしか見ないわけです。特定のその個人の属性や、ここで病気を治して、果たしてこの人の人生にどのような意味があるのかなどと言ったことは医者は扱いません。それは宗教者や哲学者や文学者の扱うことですから。ただ、同じ医者でも精神科医であるのならば、また違った考え方をするだろうし。ようは、この著者の言っていることは、マクロな(種の存続とか、生命の意味とかいうマクロな意味で)まっとうで正しいことなのだけども、個のレベルで見た場合、これでは捉えることができない、手ですくおうとしても、こぼれ落ちてしまうようなものがあって、そこが考えるべき点なのだと思います。しかしながら、今の世の中は、その「こぼれ落ちてしまう」方ばっかり着目していて、「手ですくえる」マジョリティのためになにが語られたのかというと、確かにそっちの方はなんか無視されているよなあということは言えると思います。

>>そういう男性、本当に減りましたよね。<<

あるブログで、今まで「負け犬」と呼ばれてきて、今度は「オニババ」かい。よーし、「負け犬」でも「オニババ」でもなんでもなっちゃる、という記述があって、おおっタクマシイと。「なんで女ばっか話題にあげんだよ」と書いてあって、なるほど確かにそうだなと。我が身を省みる次第であります。

ここはやはりrobitaさんのご意見を聞いてみないと、ですね。この本、robitaさんが日頃言われていることと通じるものがあると思います。

投稿: 真魚 | 2005/03/14 23:23

 kakuさん、トラックバックつけていただきましてありがとうございます。
私も以前『勝ち組負け組み』についてブログ書いた記憶あります。
私の率直な意見としては、『他人が勝ちとか負けとか言うな!』ってことでした。今回のこの本では、そのあたりどうでしょうか?私は読んでいないので、これについてはコメント控えますが、結婚しようとしまいと、仕事しようとしまいと、本人がそれを選択して、それでよければ『勝ち』なんです…と私は思います。『オニババ』も、他人にそう言われると腹立つけど、自分で認めるぶんにはかまわないのでしょう。
少子化は、女性が変ったから起こっているわけじゃない。今の日本の政治と経済の悪さです。んー、どうでしょう??

投稿: muchan | 2005/03/17 06:58

へい、御大です。
kakuさん、コメントが長くなってしまったので、私のほうに書きました。
字が大きくなりましたね。ありがたい。

投稿: robita | 2005/03/17 14:45

muchanさん、コメント頂き有難う!

>私の率直な意見としては、『他人が勝ちとか負けとか言うな!』ってことでした。<

この本ではあまり勝ち負けについては触れていません、とにかく「結婚せよ、子供を産め、それこそが幸せじゃ、信じなさい」という感じかな。

ちょっとmuchanさんと意見を異にするのですが、私は勝ち負けって他人が決めるものだと思ってて、それを気にするか気にしないかが分かれ目、ですね。

で、「あなたはあなた、気にしなくていいのよ」と言う風潮が昨今の少子社会を生み出しているのは事実だと思います。この著者は「それはイカン!中年以降に不定愁訴(=オニババ)になってまうゾ!」と。

宜しかったら是非、muchanさんの「勝ち組負け組」記事、TBしてくださいね。


投稿: kaku | 2005/03/17 14:47

真魚さん、

やっぱり頭いいなあ、

>医者が患者を治療するのと同じで、患者を目の前にしたらまず直すにはどうしたらいいかを考えるのが医者であって、患者を「性別」や「年齢」等の生物的属性でしか見ないわけです。<

これ、よおく分かりました、なるほど。確かにそういう姿勢ですね、この著者。なぜか今は国際関係学科の教授なさっているそうですが、だから随分と変わった視点の国際関係論だなあと思わせるのか、と納得。

>「なんで女ばっか話題にあげんだよ」と書いてあって、なるほど確かにそうだなと。我が身を省みる次第であります。<

願わくば、省みた真魚さんの“わが身”についての記事を期待しております。

追伸:竹島の記事、面白かったです、勉強になりました。

投稿: kaku | 2005/03/18 22:38

オニババ読了しました。もう12刷ですよ。すごいですね。
私が思ってたような内容とは全然ちがいました。思い込みでピントのずれたコメント書いちゃって恥ずかしいー。
やっぱりちゃんと読まなきゃだめですね。

kakuさんは直球勝負が好きなので私ももってまわった言いかたじゃなく直球の文章で書かせていただくと、あれは、要するに、人間は(特に日本人は)もっと、性的よろこびを素直に出して男女関係を楽しみ、出産を楽しみ、子育てをするべきだ、そうすれば、子供も健全に育ち、みんなハッピー、という主張ですね。
原初の人類がそうだったようにもっと性を楽しむべきだ、という提言と受け取りました。
ラテン系の人々の生活の楽しみ方を見習うべきだ、と言い続ける森永卓郎さんに通じるものを感じます。

言いたいことはわからないではないのですが、「人間はみなそうであるはずだ。ほんとうの自分を出さなければ」という「決め付け」に見えます。
でも、人間ってそんなにみんながみんな同じように考えているわけじゃないと思います。

たとえば、著者は、ブラジルの社会をお手本として提言をしているところがありますが、ブラジルの人はそのような生活の仕方、子供の育て方、人との付き合いの仕方でうまくいってるのでしょうが、日本人には日本人の気質や考え方や事情があると思います。
そして著者の考え方による子供の扱い方がもたらす社会の豊かさにおいてブラジルは成功しているのかどうかも気になります。(簡単に言うと、それでブラジル人はおおむね皆が幸せなの、どうなの、という疑問です)

このあたり、kakuさんの【科学的根拠やデータを上げずにかなり感覚的な物言いをする】というご意見に同感です。

「昨今の女性のオニババ化の第一世代が現在の70代にある”と言う点に関してですが、オニババかどうかわかりませんが少子晩婚は世界の先進国の傾向ですよね。それは国際的に通じる原因なんでしょうか。

それから、「出産を通じて自分のからだを知る」という題目に関して、もうやめてというくらい、何度も何度も何ページにも渡って同じ事を繰り返し、まるで年寄りの極端に長い繰り言を聞かされているようでうんざりしました。本書の内容には関係のないことですが、文章としては、魅力がないですね。(ばっさり)
それに、出産を通して「宇宙と一体化した」なんて、それほどおおげさなものかなあ、と思いました。私も「また生みたい」と思ったのはたしかですが。

ただ、発想はなかなか良いんですよね。
「オニババ」はインパクト強くて興味を惹くし、「子供には優しいおばあちゃんが必要」は、まっとうなメッセージで、「カネのある男は2号を持てば良い」、というのは注目です。

長くなってごめんなさい。

投稿: robita | 2005/03/24 11:51

robitaさん、

『オニババ』読まれたのですね、感想を書き込み下さって有難うございます。
ちょっと『オニババ』の内容とはずれるんですが、

>言いたいことはわからないではないのですが、「人間はみなそうであるはずだ。ほんとうの自分を出さなければ」という「決め付け」に見えます。<

私も日本人ですが、日本人相手に出来る限り自分の主張を誤解無いように言おうとすると必ず「きめ付けだ」と返されますし、嫌われます。「世の中そんなに簡単じゃない」とか。多分、日本では言葉に「ゆとり」を入れるのが礼儀なのでしょう。話す側も受け取る側も論点がてんこ盛り、と言うのもあるかなあ。

されど、私はそれが苦手です。多分、日本語の機微(あ・うん)が身についていないからだと思いますが、この著者も長く外国語生活をしているうちに付いた癖で、「決め付け」ている訳ではなくて、自分の主張をブレなく明確にしようと努力しているだけなんだと思います。その方が、自分の主張に対する返答もスムーズだろう、と信じているんですね。論点を一つ一つ積み重ねていくやり方です。

そういう意味で、この本は「ツッコミどころ」が明確で、私としては気分が良かったし分かりやすかったです。こういう記述法が日本にもっと浸透してくれたら楽なのになア、と。実際、robitaさんのツッコミも明確ですね。

>オニババかどうかわかりませんが少子晩婚は世界の先進国の傾向ですよね。それは国際的に通じる原因なんでしょうか。<

アメリカの人口統計局が発表した2002年(だったと思う)の人口動態レポートに、高学歴の女性ほど出産(多産)をしている傾向が続いている、とありました(ただし、“白人”ですが)。

私としては、米国の出生率の高さは(2以上あります)南米系カソリックの移民とアメリカで産めば国籍がもらえる出生地主義のせいだろう、と思っていたんですが、どうもそれだけでは無いようです。今後しばらくここを調べていこうと思っています。

もひとつ、

>私も「また生みたい」と思ったのはたしかですが。<

robitaさんが以前仰っていた通りです、少しずつ成長して色んなことが楽になってくると、かわいくてかわいくて、成長しているその事が少し寂しかったりして…「よぉし、次いくゾォ!」なんて思う今日この頃。…数年後、“3人の子持ち”になっていたらご祝儀下さいね!(冗談です)

投稿: kaku | 2005/03/24 21:39

kakuさん、こんにちわ。
<決め付け>について

考えてみれば、人は誰でも意見を言うときは「決めつけて」るわけですよね。
私だってそうです。あれもこれもわかるがでも私はこう思う、って。
その論理の展開の仕方というか作法がきっと日本は外国と違っているんでしょうね。
外国人はひととおり自分の主張をきっぱりと披露して、「さあ、どこからでもかかってらっしゃい」と手を大きく広げるんだと思います。
日本人はそれをやらずに最初から「皆様のご意見」を予想してものを言うところがあります。

でも、どっちにしても、誰かの意見に対して「決め付け」だと感じたら、「あなたはそう仰るけど私はこう思います」と自分の意見を言うことは大事だと思います。
私も、三砂さんが「性的歓びを素直に出せば子供もうまく育つ」と書いているのに対して、「決め付けなくても」と思ったので、「日本人の気質ではそうもいかないところがある」、と異議を申し立てたわけです。
(この議論は堂々めぐりになるような気がしますが)

 >アメリカの人口統計局が発表した2002年(だったと思う)の人口動態レポートに、高学歴の女性ほど出産(多産)をしている傾向が続いている、とありました(ただし、“白人”ですが)。私としては、米国の出生率の高さは(2以上あります)南米系カソリックの移民とアメリカで産めば国籍がもらえる出生地主義のせいだろう、と思っていたんですが、どうもそれだけでは無いようです。<

アメリカの出生率を支えているのはほとんど移民の人々によるものだと思っていましたが、そういえば思い出しました。ちょっと前に見たアメリカのCBSドキュメントで、エリートコースを歩んでいた有能な女性たちが出産を機にあっさり仕事をやめて専業主婦になってしまうケースが増えているというのです。しかも彼女達は決して後悔せず、子育てを楽しんでいました。
ビデオにとってあるので、もう一度見てみます。

投稿: robita | 2005/03/25 14:26

robitaさん、

>ちょっと前に見たアメリカのCBSドキュメント<

そうですか、そんな番組が…いいなあ。私も見たいです。

考えてみれば米国は、根底にキリスト教の価値観が流れていますものね。でも、私はそれだけじゃないと思ってるんです。

2,3年前だったかな、当時まだ可愛らしい少女の面影を残していたブリトニー・スピアーズがジャスティン・ティンバーレイクと交際していた際、「お互い結婚まで性的関係を持たない」と宣言していたんですが(結局そうでも無かった様ですが)、そのことについてMTVでどう思うか、とteenagerを集めて討論をやってました。

で、その時の会場の殆どの少女たちが「私達はママ達の時代(ヒッピーJr.ですね)の性的モラルのゆるさを恥ずかしく思う。ブリトニーとジャスティンの様に、結婚まで性的関係はしないべきだ」と多数が支持していたんですね。私はおおー、米国も若者が保守化してきたゾ、と思いました。価値観のゆり戻し、ですね。

翻って日本の若者はどうか…セックスレスカップルが増えている、との報道を見かけますが、少なくとも「家庭」や「育児」と言うものに関する価値の回帰はみられていないと思いますねえ。

投稿: kaku | 2005/03/28 14:30

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